○幼少~学生時代についてお聞かせ下さい。
幼少のころ、家の中や近所で、はしゃぐような子どもではなく、周りの大人からは落ち着いていると言われていました。しかし、学校では元気で通知表には落ち着きがないと評価されていましたね。中学からは勉強よりもスポーツに興味を持ち体操競技、陸上競技を経験しました。大学では体育会の合気道部に入部。そこで先輩との上下関係や礼節、クラブの運営、後輩の指導などを学びました。同級生達が海外旅行や留学と言っている時期に、社会経験とお金を稼ぐために接客業から、ガードマン、道路工事やトラックの運転手など約15業種を経験しました。最初のころは、バイトは時間が経てば、お金をもらえると思って何となく働いていましたが、ある先輩から“バイトといえどもプロだから真剣に働け”と言われ、心を入れ替えて働くようになりました。働くことは嫌いではなかったので、大学が休みの時期は1日に3業種の仕事をこなす時もありました。
○社会人(サラリーマン)時代についてお聞かせ下さい。
大学卒業後は、親の紹介で東京の財閥系国際航空貨物の会社に入社。成長中の業界の中で国際輸送や輸出入通関などの難しい仕事をこなしました。3年目ぐらいまでは、ただただ一生懸命働いていましたが、10年以上経つと会社の方針がお客様に向いていないことが分かり、社内で尊敬に値する人がいないような気分になって独立を考えるようになりました。
ある人と共同経営で店をすることになり退職金、預貯金、カード等の全てを出資金として差し出して仕事を始めましたが、半年位で詐欺とわかり全てを失いました。借金だけが残り、40歳を前に昼間はトラック運転手、夜は飛行場で機体清掃のアルバイトをして、一切の交際を断ち切ってひたすら働いていました。「これが後にいい体験になる。乗り切れば、いいことがある」と思い頑張っていましたね。借金の返済がある程度、目処の経ったころ、ある人の紹介で外資系の国際貨物輸送会社に入社。実力主義の会社と思い必死で働きましたが、同僚の嫌がらせや、お客様のためにしていたことをダメだと言われたりして、これは自分で起業するしかないと確信しました。
○経営者としての喜びや苦労についてお聞かせ下さい。
経営者になれば、良くても悪くても全て自分の責任です。
起業当初に母親が末期ガンで入院し、妻は切迫流産で入院。仕事も少なく何とか生活していくのが精一杯の状況でした。しかし、お客様にとって個人的な事情は関係無いので、決してサービスのクオリティは落とせません。その時が一番苦労した時代ですが、ここが試練の場と何とか乗り切っていきました。
大企業の会社組織ではできない付加価値を提供することが弱小企業の生きる道です。“こんな商品があったらいいな“と思って試行錯誤の末、企画・開発した商品に名前をつけ、宣伝、営業して、お客様が喜んで感動してくれた時が嬉しいですね。また、関わってくれたスタッフ達と喜びを実感できた時に経営者としての喜びを感じます。
○今後の社長自身の目標をお聞かせください。(プライベートでも構いません)
我々の業界では国内保有在庫数が顧客獲得と売上高に影響します。
弊社の現行倉庫はアイテムごとに保管場所が数箇所あり、作業効率がよくないので、加工工場も兼ねた大型倉庫を5年以内に設立したいと考えています。
また、現在はB to Bの素材提供が主な業務ですが、10年以内にB to Cを対象に、住宅や店舗の設計、施工、家具、什器製作等のトータルプロデュースできるモデルハウス的ショールーム設立することが目標です。そして、20年後には私たちがプロデュースした店や家がひとつのエリアに集結した街をつくりたいですね。そこでは関連業者や職人、アーティストも暮らし、新たな家庭も生まれ、その街の中だけでも流通が起こり、定期的なイベントを開催して外部の人達の集客もする。そんな街ができればいいな!
○日本の構造問題として改革・改善したいことがあればお聞かせください。
日本は、豊かになりすぎて懸命に働かなくても何とか生きていくことはできるので、若者の目から力が無くなっているように思います。アジア諸国では、内戦や貧困に苦しむ国も少なくないので若者達が危機感を持って、「今に見ていろ」と言わんばかりにも野心を持って多くのことを学んでいます。
日本では、政治家も国の政策も信用できない、外交的にも弱腰、それに対して反乱も起きない。政治は、国家経営なので政治家(経営者)が国民(従業員、顧客)のため、将来こんな国にするというビジョンを持ち、それに向かって国全体が努力できるようなリーダーが必要だと思います。
○御社の仕事の魅力と苦労をお聞かせ下さい。
アメリカの古材を直接輸入するという事業を行っている企業は、日本で5~6社程度と思われます。非常にレアな業界で、建築業界においても未知の素材なので今後の市場性が見込める商材です。大手企業が参入することもなく、加工、塗装、製作により多くの場面での提案が可能です。
常に安定した在庫を維持するためには、保管場所や加工技術、発注のタイミング等に苦労します。アメリカからの輸入品のため、発注から出荷まで約1ヶ月、アメリカから日本までコンテナ船で約1ヶ月、輸入通関、税関検査、倉庫搬入までのリードタイムを考えなければなりません。特に12月はアメリカの山間部は大雪になるため、雪解けの4月頃まで一切の作業がストップします。それまでに年間の消費数量を考慮して、まとめて発注することでコスト削減を図ります。そのように現状在庫があっても、発注するという資金的な問題と、売れる商材の予測アイテムの選択に苦労しています。
○御社の強みをお聞かせ下さい。
私は前職の国際貨物輸送の経験とスキルを生かして、貿易代行業から起業しました。現在も一部のお客様のためにケミカルや毒物劇物、工業製品等の輸出入を行っています。多くの海外サプライヤーと直接交渉して、効率のよい物量や輸送方法で自社製品を輸入することで他社とのコストパフォーマンスの差別化をはかっています。
弊社が輸入する「バーンウッド」は、北米で100年以上経過した建物の解体材です。創業時から古材はいつか無くなると考えて、Fake Vintage(古材風仕上材)の研究開発に努めてきました。新建材に多種の傷をつけたり、何層も塗装したり、剥がしたりして、古材の半額を目指して思考錯誤の末、古材のテクスチャーを再現したフェイクビンテージを完成させて販売しています。フェイクビンテージは、板材、床材、柱材とどんな木材でも対応可能です。
最近では、古材でも安定供給が可能で定尺品でもあるFence Wood(北米の高地で雪除けのフェンスとして使用された古材)のバリエーションも増えて、多くの店舗や住宅でご利用いただいております。
○今後、どのような人材が欲しいかをお聞かせ下さい。
特殊な業界なので、経験の有無は問いません。建築業界と思われますが、そうではありません。こういう古材に興味がある方なら大丈夫です。
弊社では全てのスタッフが作業から接客、商談まで対応します。自分の領域だけではなく、何でもこなせる方。弊社が目指す目標に共感でき、チャレンジ精神を持って地道に努力できる素直な方を求めます。
○会社の理念と今後の目標を教えて下さい。
“価値ある古いモノを新たなステージへ”をコンセプトとして、都会の中の異空間、モダンとの融合をテーマにお客様の立場に立って一緒に創って、感動して頂くことがわれわれの喜びです。
商品を販売しているようですが、本当は、その先にある夢や感動をお客様や社会に提供し続ける企業でありたいと願っております。
今後とも『古材道』に邁進してまいりますので、倍旧のお引き立てを宜しくお願い申し上げます。
支店を出店とすれば、ニーズのある東日本方面よりも、認知度の低い九州などで出していければと考えています。
○日本を背負う若者へのメッセージ
何となく日々を過ごしていてはいけません。夢、目標を持って生きていきましょう。
人間だけが、他の動物と違って夢や目標に向かって努力できる生き物です。自分があるべき姿を想像して、その道筋を考えて、まずは、一歩を踏み出して行動する事が大切です。
失敗を恐れずにたくさんの失敗をして、気づきの数を増やせば全てが自分の知識と経験になります。
歴史上、やまなかった雨はありません。地道に努力を重ねていけば、夢は必ず叶います。